日中はまだ日差しが強く、熱いと感じる時があるものの、朝晩は肌寒くなってきた。
今週はほとんどアトリエ詰めで、事務処理やウェブのアップ、チラシ作成、調査、プランニングシートを作ったり図面を引いて、ああではないこうではないと独りブツブツ言ったりする仕事が多かった。
週の前半に近所で水道管の工事があって、窓を開けているとけっこうノイズが多かった。その工事も3日間ほど続き、一昨日には終了したようで静かになった。夕方にはきれいな鳥の声が聞こえてきて、はっとさせてくれる。
昨晩からプランニングや発想の源に、雑誌 Gardens Illustrated のバックナンバーを見返してきた。今朝は空気が澄んでいて、薄雲がかかっているのか、日差しはやわらかい。この空気感と遠くの方で聞こえた航空機のノイズ、そして今見ている雑誌の写真。ふと、2年間住んだ Wisley の光景がフラッシュバックしてきた。心地いいな、と夢想していると、ふと気づいた。セミの声がしない、と。イギリスにはセミがいなかった。だから、夏の間は気候も空気感も日本の5月や10月くらいの感覚で、心地よかった。
セミの声は、日本の夏を象徴づけるものの一つだと思う。天気予報ではまだ真夏日が報じられているが、朝夕にセミの声も湿った空気もほとんど無くなったここ高知は、もう秋が始まった。
セミの声がなくなると、どこか哀愁じみてくる。夏の間に暑くて休んでいた植物を見ると、ぐぐっと動き始めている。しかし、その動きは、初夏の頃のように透明感のある生命力あふれた動きではない。これから始まる冬に備えて養分の備蓄や種子を作ったりするための動きだ。春から夏の間に一層たくましくなった枝葉には、傷や虫喰いのあとが見られる。その枝葉で、養分をつくったり、花を懸命に咲かせて、冬に備え、次の春に備えているのである。植物は自然が何千何万回も繰り返してきた時の移ろいに身を任せ、それに順応し巧みに生きて、次の時間へとつないでいるのだと実感する。
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虫の音を楽しむ文化は、時の移ろいを楽しみ充実した時間の感覚を提供してくれると思う。アブラゼミやクマゼミ、ヒグラシは夏のイメージを特徴付けてくれる。 スズムシやカンタンの鳴き声はなんとも雅で、秋の始まりを気づかせてくれる。
自然の営みに意識を向けて自然の変化を感じることは、カレンダーや時計が教えてくれるような人が決めた時間ではない。人間が生き物として自然の中の一部として暮らしているのだという、大きなことを感じさせてくれる。自然の一員であることを感じることは、自然の営みという大きな流れの中に存在することの実感であり、生きることへの励ましのようにも感じる。このような自然の時間の変化を感じられることが、日々の中で感じられる幸せの一つだと思う。
このような感覚を大切にしながら、ガーデンを作っていきたいと改めて思うのであった。
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