渋柿に思うこと

柿の季節ですね。

最近、実家から‘太秋’という品種の柿が送られてきました。梨のようなシャリシャリ(もしくはパリパリ?)とした食感。すっきりした甘みでとてもおいしかったなー。今までの‘富有’や‘次郎’、‘平核無’とは全然違うおいしさなので、柿のあたらしい需要がうまれそう。

‘太秋’ にかじりつく息子。

‘太秋’ にかじりつく息子。このあとちゃんと皮をむいてあげました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、畑には柿の木が数本植わっていて、たわわに実らせてくれるのですが、何と言っても渋い。おそらく「不完全渋柿」にカテゴリーされる品種でしょう。

先日、畑での作業が長引いて、昼になってしまったのですが、弁当を持ってきておらず、買いにいくのもなぁと思い、たまたま熟れた渋柿が一つ、鳥に食べられずに樹に実っていたのでそれを食べてみました。

うまい!

歯ごたえは無いけれども、ねっとりとした甘さで、これはこれでうまい。柿特有の香りもよし。

一つだけじゃ胃袋が物足りないと言うので、禁断の未熟な果実に手を伸ばし、かじってみました。甘みは期待していなかったけれど、渋は抜けていそうだと期待していたのに、やっぱり渋かった。その渋みで食欲も失せて、涙目に。ううっ、舌がシワシワする!

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しぶ〜い柿。見た目はおいしそうなのになー。鳥も突つきにきやしない。

渋みに苦しみながら、柿の木を横目に作業を再開。すると、ある疑問が浮かんできました。

なぜ、渋柿は渋いのか?

えぇ、渋柿の渋みの仕組みというのはよく知られています。タンニンという渋み成分が水溶性であると渋みを感じます。渋柿の果実が熟したり、干し柿になったり、焼酎などで脱渋処理されることでタンニンが不溶化し、渋みが感じられなくなって甘く感じられるようになるのです。ここまでの話は、教科書に載っています。

では視点を変えて、柿の生存や繁殖の戦略として渋柿であることのメリットがあるのだろうか、と疑問に思ったのです。

柿にとって、果肉というのは種子をできるだけ遠くに移動させるための部分(道具)だと想定できます。例えば、人が果実をもいで、持ち歩いて、おなかが空いたのでどこかの道ばたでそれ(果肉)を食べる。タネ(種子)は食べられないのでそのあたりに「ぷっ」と飛ばしてしまいます。地面にたどり着いた種子は発芽し、その場所にあらたに柿の木が出現するわけです。つまり動物に果肉を食べてもらうことで種子の分布が広がるのです(動物の場合は種子も食べてしまうこともあるので糞として種子が散布されることもありますね)。

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畑で実る数少ない ‘次郎’(甘柿)が食べ頃になっているのを目敏く見つけてもぎ取った息子。

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‘次郎’をほおばる息子。このあと種子はどこかに捨てられていった。‘次郎’君の種子散布は成功し、知らぬ間にそれを助けた息子のおなかはご満悦。高知では甘柿といえば ‘富有’ でなく‘次郎’ のほうが多い。

渋柿も甘柿と同様に色づいて樹に実っているわけです。柿が橙色になれば、「お、食べごろじゃん」と人も鳥もイノシシもサルもカニも思うわけです。けれども、渋柿は色づいていても渋いので、動物は食べない。動物が食べてくれないと種子が散布できないではないですか!・・・渋柿は種子を散布したくないのでしょうか?

甘柿に話を移します。甘柿に分類される品種たちは、寒い地方ではあまり栽培しません。樹に葉がついている期間に一定温度以上にならないと、甘柿は甘くならない(タンニンが不溶化しない)のです。つまり、寒い地方では落葉する時期が早い=葉のついている期間が短いために甘柿が本来の甘柿にならないことが多いといいます。甘柿の品種の多くは寒さにもあまり強くないと聞いたことがあります。その点、渋柿はどこに行っても渋いまま。寒い地方に渋柿の品種が多く栽培され、干し柿などが名産になっているところが多いのは、この辺りの理由からでしょう。

渋柿は寒い地方に多い。そして、渋柿は寒くなってから甘くなる。と考えてみると、渋柿は寒くなってから種子を散布したいのではないか。

なぜか。

甘柿を食べて取り出した種子をすぐに播くと、ある程度の温度があればたいてい一ヶ月もしないうちに発芽します。発芽したばかりのカヨワイ芽生えは寒さの厳しい地域では冬が越せないとしたら・・・種子のまま冬を越した方が生存率が高いのではないでしょうか?

渋柿が寒くなってから甘くなることで、寒くなってから種子が散布されるわけです。散布された種子は、気温が低いので発芽できない(これを「外生休眠」といいますね)。春に気温が上がるまで種子のまま越冬。気温が上がって適度な湿度を得られたら発芽し、生長していく。冬を越すことのできる大きさに秋までに生長するとしたら・・・色づいても渋が抜けない渋柿の戦略は寒い地方で効率的に繁殖するための仕組みなのではないだろうか、と思ったのです。

長々と考察してみましたが、生物の形態や生理には無駄なことは無いと信じています。渋柿が色づいても渋が抜けないということにも意味があると信じているのです。

渋柿の生存戦略、研究している人いないかなぁ。

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光陰矢の如し

おっと!気づけばブログの更新が停滞していました!

見てくださっている方がいらっしゃるのを知りながら、ごめんなさい。

アップロードしておらずに下書き状態の記事がたまっているので、それらを整理して随時アップしてみます。去年の8月、もっと言えばちょうど1年前からの活動報告ですね。

近況報告も交えながら、これから随時更新していきまーす。

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近況と言えば、5月の末からクワガタをちらほら見つけます。

クリの木の隙間とか、食害の穴とかに潜んでいます。

子供の頃は、晩ご飯を食べた後に裏山の街灯の下に行ってクワガタやらカブトムシを捕りにいったなー。

高知に来てからは、家の網戸にくっついてくることがあるのだから、すごい。

生物が豊富ですね。でも、その価値に気づいている方が少ないのが残念。

自然が豊かなのは、何物にも代えられない価値あることですよね。

高知で子育てできることの大きな魅力として、この豊かな自然から様々な経験ができることにあると思います。

私が植物を育成している畑の横に流れている川は、去年よりもきれいになってきているように思います。臭いもなくなり、生物相は豊かです。拳大のオタマジャクシ(たぶんウシガエルの)がいたり、モクズガニやテナガエビ、魚のゴリ(ハゼ科の一種?)も棲息して川の生き物を観察するのも楽しいです。なにより、ホタルの餌になるカワニナが多くなりました。そのために、今年からホタルが多く目につくようになりました。地元の人の話では、昨年くらいから上流部で下水を導入する工事が進んでいるとのこと。それで水質が改善しているようです。

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子供が物心ついたときにも蛍を両手で捕まえられるような自然が残っていますように。。。

セミの声

日中はまだ日差しが強く、熱いと感じる時があるものの、朝晩は肌寒くなってきた。

今週はほとんどアトリエ詰めで、事務処理やウェブのアップ、チラシ作成、調査、プランニングシートを作ったり図面を引いて、ああではないこうではないと独りブツブツ言ったりする仕事が多かった。

週の前半に近所で水道管の工事があって、窓を開けているとけっこうノイズが多かった。その工事も3日間ほど続き、一昨日には終了したようで静かになった。夕方にはきれいな鳥の声が聞こえてきて、はっとさせてくれる。

昨晩からプランニングや発想の源に、雑誌 Gardens Illustrated のバックナンバーを見返してきた。今朝は空気が澄んでいて、薄雲がかかっているのか、日差しはやわらかい。この空気感と遠くの方で聞こえた航空機のノイズ、そして今見ている雑誌の写真。ふと、2年間住んだ Wisley の光景がフラッシュバックしてきた。心地いいな、と夢想していると、ふと気づいた。セミの声がしない、と。イギリスにはセミがいなかった。だから、夏の間は気候も空気感も日本の5月や10月くらいの感覚で、心地よかった。

セミの声は、日本の夏を象徴づけるものの一つだと思う。天気予報ではまだ真夏日が報じられているが、朝夕にセミの声も湿った空気もほとんど無くなったここ高知は、もう秋が始まった。

セミの声がなくなると、どこか哀愁じみてくる。夏の間に暑くて休んでいた植物を見ると、ぐぐっと動き始めている。しかし、その動きは、初夏の頃のように透明感のある生命力あふれた動きではない。これから始まる冬に備えて養分の備蓄や種子を作ったりするための動きだ。春から夏の間に一層たくましくなった枝葉には、傷や虫喰いのあとが見られる。その枝葉で、養分をつくったり、花を懸命に咲かせて、冬に備え、次の春に備えているのである。植物は自然が何千何万回も繰り返してきた時の移ろいに身を任せ、それに順応し巧みに生きて、次の時間へとつないでいるのだと実感する。

虫の音を楽しむ文化は、時の移ろいを楽しみ充実した時間の感覚を提供してくれると思う。アブラゼミやクマゼミ、ヒグラシは夏のイメージを特徴付けてくれる。 スズムシやカンタンの鳴き声はなんとも雅で、秋の始まりを気づかせてくれる。

自然の営みに意識を向けて自然の変化を感じることは、カレンダーや時計が教えてくれるような人が決めた時間ではない。人間が生き物として自然の中の一部として暮らしているのだという、大きなことを感じさせてくれる。自然の一員であることを感じることは、自然の営みという大きな流れの中に存在することの実感であり、生きることへの励ましのようにも感じる。このような自然の時間の変化を感じられることが、日々の中で感じられる幸せの一つだと思う。

このような感覚を大切にしながら、ガーデンを作っていきたいと改めて思うのであった。

一人になって気づくこと

今、妻が実家に帰省している。

ついに夫に愛想が尽きたか、という訳ではない(と信じたい)。実家のお店の手伝いに行っているのだ。夏季休暇の消化も兼ねている。

私も一緒に帰省しようと思っていたが、仕事と経済的な理由から、一人高知に残ることになった。

たかが一週間だが、一つ屋根の下で一人で過ごすというのは何年ぶりだろう。妻が出張でいないことがあったが、それを除けばウィズレーガーデン(Wisley Garden)での日々以来だから、3年ぶり。 でもその時はフラットと呼ばれるシェアハウスに同期の研修生と一緒に住んでいたので、正確には一つ屋根の下で一人だったわけではない。となれば、学生時代までさかのぼるのか。

妻が帰省して2日目の今日、気づけば学生の時と変わらない生活をしている気がする。仕事の時間は別として、食事、睡眠、風呂のリズムや内容が不規則になってきた。

特に食事は単調になる。先日送られてきたパンをモグモグ食べて、カフェオレかミルクティーを飲む。一日3食のうち、2食はこれで賄ってしまう。昨日はそれに加えて野菜炒めの残りを冷蔵庫で見つけてカンパーニュを主食にして食べた。今日の昼は、冷蔵庫に先日のパスタに使った残りの明太子が転がっていたから、これを焼いてお米を食べた。ついでに気を遣って野菜ジュースも飲んだ。夜はまたパンとカフェオレで済ました。

おいしいパンたち。

送られてきた「のはらぱん」さんのパンは種類があってとてもおいしいから飽きない。それにオーブンで焼けばいいのだから簡単においしく食べられる。お気に入りのピーナッツクリームもたっぷりある。

調理して洗い物をする「面倒くささ」と「食欲」を天秤にかけて、食欲が負けているのだと思う。一人で過ごすというのは、こういった体力と欲求の間で「行動の効率化」が行われていることにふと気づいた。調理したりするモチベーションが高まらない時は、多少食欲があっても、簡単な食事で済ますことが多い。金銭的に余裕があれば、外に食べに行くかもしれないが、外に出ることすら億劫になることもある。まさに、私が経験してきた学生生活そのものではないか。

なぜ妻と一緒に生活していると、学生時代のようなライフスタイルにならないのだろう?

妻がおいしい料理を作ってくれるときはありがたく食べる。二人で食卓を囲むわけだから、時間も規則正しくなる。私が料理する時は、彼女がおいしいと思えるものを作ろうとする。 これは「思いやり」というものではないか。

一人暮らしと大きく違う点は、この思いやる気持ちがあるかないかだと思う。 もちろん自分自身を客観的にとらえた時に思いやりというものが無いことはないが、自分の体であるから、その限界の加減がわかりやすい。しかし、他人の加減というのは、一様ではないし、その人との距離感によって把握しやすが変わっている。だから、他人と過ごす時は、できるだけ思いやりの気持ちを持つのだと思う。思いやりの気持ちが高まると、それは行動になってあらわれる。

言い換えれば、人は思いやる人に突き動かされているのだ。「あの人のためにデザートを用意しておいたら、喜んでくれるかな」、「あの子は調子が悪そうだから、おいしい料理で喜ばせてあげたい」などは、相手を思いやっているから行動となるのである。相手との距離が近ければ、思いやりは愛情になって、より持続的な行動力になるのだろう。

しかしながら、よりによって愛情というものは時に薄れることがある。人の心というのは器用ではないから、あっちに気が取られ、こっちに気が取られているうちに、愛情への意識が弱くなる時がある。

話はえらく長くなったけれど、一人暮らし2日目で、やはり妻といる生活がありがたいものだと感じた。そして愛情が薄くなっていないか、自分をたしなめたのであった。